なんだかなぁ……

ABに関してやたらと矛盾しているとかいう人たちがいるのでとりあえず軽く反論しておこうかな。個人的にはなぜそこまで必死に批判するのかよくわからんがそれは置いといて。

その一、NPCに関して
なぜ一般生徒を殺してはいけないのか、教師はなぜSSSを放置しているのかなどありますが、この辺全部奏の言葉からおそらく読み取れるんじゃないかと。
奏で曰く、「ここは死後の世界であり、青春時代に満足できなかった魂が集まる場所」である。学園という形(生徒含む)がつくられ、そこに悔いのある魂が迷い込んできては満足して消えていくということだったのだろう。それがゆりっぺのような存在が現れたことにより徐々に変質し始めたのではなかろうか。ところでゆりっぺの考えはあくまで推察であり、一話でいってた設定と違うという批判はまさにお門違いなのは言うまでもない。NPCと魂のある人を区別する要因はおそらく『生前の記憶』と『わけのわからない状況におかれた時の新鮮な人の反応』だろう。ほとんどのSSSメンバーは前者であり、音無は後者である。このことをもとにゆりっぺはNPCと人とで区別する。NPCに危害を加えないというのはRPG特有の「村人に危害を加えない」的なものではないだろうか。直井はそんなNPCに危害を加え、なおかつそれを人質件、奴隷として使っていた。そりゃ最悪と言われても仕方がない。
では、次に自由奔放なSSSをなぜ教師は咎めないのかに関して。これについては簡単な状況の想定で大丈夫な気がする。魂を持つ人側にこのような人がいるという想定である。「親や学校が厳しく、ただ、毎日が勉強するだけの日々だった。放課後も塾に行って帰るだけ。ふと授業中に窓の外を見ると教師に怒られている不良がいる。それを見ながらうらやましいと感じる自分がいた。もっと自由に生きたかった」こういう人がいるなら悔いを晴らすことを目的としている学園の教師が授業サボってる連中をとがめるわけにいかないよね。


長くてめんどks…ゲフンゲフン、とりあえずあともう一点だけ短く突っ込んでおくとしよう。二話でギルドが土からでもモノを作れるといったことになぜか突っかかっている人がいることに関して。
聖書にある一節があります。「神は土くれより人を創った」これだけですべて語れたような気がする。有名な一節ですよね。なお、この一節から人は神か?などの疑問がわいてしまうわけですがここからは宗教論の話になるので止めておくとしましょう。とりあえず言えることは魂があるということの特別性というのは宗教においてどれだけ大きいか考えてみると面白いよ。その観点からABを見てみるのもちょっといいかもしれないかな。